私たちが作り出す全てのものは、私たちが今まで見てきたり触れてきたりしたものであり
全てを知り尽くしていると言う訳ではないにしても、
著名なあるいは無名な先達が作り出し、
または愛でてきたものを私達になりに表現したものです。
それはプリミティブなものから地中海に揺籃され、アイルランドまで行き着いたもの
あるいはオリエントのイズミック・シノワズリ、そして日本、また地下から訪れた鉱物
それらを通して感じえたものが私たちのグランドデザインであり私たちの根拠であると思っています。
私たちは良いものに出会い、見たり触れたりするとき、心ときめき、
また霊感のような衝撃を受けたりすることがままあります。
それから、物に集中していくうちに他を忘れて、
研ぎ澄まされるように止まって澄んだ状態になることがあります。
私はその状態をいつも完全に作り出すことが出来るわけではないのですが
“全て無くかつ全てある”
禅でいうところの“空”を感じる瞬間に似たようなものだと思っています。
その言葉に出来ないような表現が出来たときは無上の喜びであり
わたしたちの意志がそうするのではなく
それがそうさせるのだと思っています。
他の世界でそのような経験をされている人々に
それを感じてもらえる事が出来ると確信しています。
またそれは人々の生活を豊かにするものだと思います。
ジィオデシック代表 小島祐二
GÉODÉSIQUE代表、京都造形芸術大学 プロダクトデザインコース教授。九州の禅寺に生まれる。中央大学にてフランス現代思想を学ぶ。先輩であり友人でもある鎌倉の工房Gallaにて修行した後、平田暁男氏の帽子学校「サロンドココ」にて、帽子、コサージュ制作デザインを学ぶ。’89年、ジィオデシック社を立ち上げ、いくつものファッションブランドのファッション小物のデザイン制作を担当する。ゴルチエ・ビジューデザインの担当になった森下が、当時ゴルチエ社のトップアシスタントであったミリエル氏の「遺跡から発掘したような指輪」の要請を受け、数々のファクトリーで成功しなかったモノを、最後に小島に依頼。ジャパンメイドの最初のゴルチエ社からOKの出たリングを製作した経歴を持つ。'95年パリにアトリエを持ち、97年には現地法人を立ち上げ、フランス政府認定刻印を取得するなど海外でも活躍する一方、数多くのブランドの立ち上げ、ブランディング、マーケティングなどを担当し、現在に至る。
初仕事は小学六年生、オリンピック道路中央分離帯にそびえ立つ「交通安全」の看板。中学生時代には、フジテレビデザイナー松下郎氏と実父との三人のコンペで採用された「珈琲館」のロゴデザイン。『夜のヒットスタジオ』などの歌番組のセット制作会社を経営していた父が端境期に始めたカフェデザインは当時の珈琲専門店ブームに乗り流行り、学生時代から父の元でインテリアデザインを始め、そのままインテリアデザイナーに。約5年の活動のあと、アパレルに身を委ねる事に。イトキン株式会社にて、バッグ・アクセサリーのデザイナーを経て、オンワード樫山にて「SUIVI.」のアクセサリー、バッグ、ベルト、靴、スカーフ、時計などのデザインを担当し、インショップで使用する小型のショーケースの設計まで手がけ、全国展開。『組曲』アクセサリーデザインなどを経て、念願だったジャンポールゴルチエのジュエリーデザイナーに。その後ジュエリーデザイナーとして 「GÉODÉSIQUE」ブランド設立に参画。現在に至る。
'96年10月、パリでデビュー。小さなサロンだったが、フランス、イタリアの業界紙、ファッション紙に多数取り上げられる。
(当時)伊勢丹のバイヤー藤巻氏の目に留まり、翌年、伊勢丹新宿店にデビュー。
'97年3月、パリ最大のファッション小物、アクセサリーの展示会「プルミエールクラス」より出展要請を受け出展。
パリに支店設立。フランス政府認定刻印、ポワンソン取得。
パリ、マレ地区ルーシャルロにフランス人、イタリア人クリエーターと共に、ブティック「Notes de
Style」を開店。
パリのセレクトショップ「アブサント」ジュエリーセレクトショップ「Doch e Vana」展開。
『FEMME』誌に掲載された蜘蛛の七宝が話題を呼ぶ。アレクサンダーマックイーンに絶賛される。
'03年、Gackt氏監督主演
MOON CHILDにて、L'Arc en Cielのhyde氏のセレクトにより
GÉODÉSIQUEの三界透かしリングが着用され話題になる。
'05年、パリで最高峰と言われるジュエリーアーティストが集うサロン『KARA』に初出展。
約80の参加者の中で唯一「豊穣」が『LE
FIGARO』紙に取り上げられ、プレス会社からオファーを受ける。
'06年、パリの「ギャラリーエルザヴァニエ」で開催されたメンズコレクション展にて
「四神」が再び『LE
FIGARO』紙に掲載される。
その年の暮れ、世界の一流品ジュエリーの集う“ヴァンドーム広場が無視出来ない10のブランド”のひとつとして、
三度『LE FIGARO』紙に掲載される事となった。
パリの「レクレルール」の社長アディダ氏に誘われ「TRANOI
mens」に出展。
ドイツのコレクション雑誌『We Ar』大きく掲載された。
'07年から、小島祐二が京都造形芸術大学プロダクトコースにて教鞭を取りはじめる。
'08年、テーブルウエアから時計などのプロダクト、
ライフグッズを提案する新ブランド「JAS
DE BOUFFAN」を立ち上げ、
盆栽士である小島の育てた盆栽と、
スウェーデンで培った色彩感覚を持つガラス作家、神田正之氏とのコラボ“tenori- bonsai”スタート。